現在日本の化粧品産業(エステティックブランドに限らず)は1,000社以上のメーカーがあるといわれており、業界団体である日本化粧品工業連合会の加盟企業は700社を超えているといわれています(その内株式会社公開企業は15社程度)。(化粧品出荷)売上高としては上から花王・資生堂・コーセー・ポーラ・マンダム・新日本製薬などの上場企業が並んでいますが、その他にも多くの訪問販売向け・通信販売向け・業務用販売向け(エステティック専売品はここに該当)という販路別の化粧品ブランドを入れると、国内だけでもどれだけ多品目の化粧品が存在するのかということを容易く想像することができるでしょう。
その中でも私たちがエステティックサロンと力を合わせOEM開発する化粧品は業務用販売向け化粧品ということになりますが、それの大きな競合優位性として「効果性」「安全性」などに挙げられる商品品質であるといえます。私たちエステ事業者は、膨大な時間やコストをかけてまで他の化粧品を分析する必要はありませんが、競合優位性とはあくまで相対的なものから基づいたマーケティング上の概念になりますので、たまには視野の広い視点で化粧品というものを観察することも大切ではないかと私たちは考えています。
【目次】
1.OEM化粧品事業者は知っておきたい知識。化粧品とその歴史について
2.エステサロンで店販する製品のほとんどは、100年前すでに開発されている
3.今回のまとめ
OEM化粧品事業者は知っておきたい知識。化粧品とその歴史について
美容の習慣に歴史があるように、化粧品にも日本史・世界史が存在しています。セールス過多にならないことが、マーケティング上の秘訣であるならばこういった「化粧品の日本史・世界史」を予備知識としてお客様と共有することも大切ではないでしょうか。
日本で化粧品の文化が生まれたのは、太古上古時代に入ってからなのですが、この時代は原始的な赤土粉飾が行われていました。奈良時代には絢爛豪華な大唐朝文化の渡来がますます盛んになることで、化粧品は紅・白粉・朱・香料などが入ってきました。正倉院に描かれていた女性は眉を太く、紅をさされている状態です。平安時代には日本独自の文化が発達し、貴族階級の女性が水銀や鉛を用いた「白粉」を塗り肌の白さを強調していました。またこの時代には、男女問わずお歯黒化粧を施し眉は剃り別の眉を描いたりもしていました。江戸時代になると、特権階級だけではなく一般庶民まで広く化粧が行われるようになりました。「色白が美人」という条件に基づき白粉は変わらず行われましたが、お歯黒は既婚女性の証で、眉剃りを入れるのは子どもができた女性。紅は紅花からつくられた赤一色のものでした。麦の粉を灰汁で固めた石鹸・赤いホウセンカとカタバミを混ぜ爪に塗る爪紅(いまでいうネイル)が始まったのもこの時代です。明治時代には、お歯黒や眉剃りが政府により禁止されてしまいます。この時代には鉛白粉による鉛中毒も社会問題となっており、末に良質な無鉛白粉が販売されることになります。大正時代になると、「ヘチマコロン」が発売されます。ヘチマコロンは、天然植物系スキンケア商品の元祖だといえるでしょう。またこの時代には、資生堂が七色粉白粉を発売したことで、業界的にも大きな転機になっています。昭和に入るとメイクアップの大衆化が進みました。アイシャドウ・マスカラといったアイメイクが流行したきっけとなりました。その他資生堂からW/O型乳化クリーム「ホルモリン」(女性ホルモンを配合)が発売され、スキンケアに肌の若返りを女性は求めるようになりました。油性ファンデーション・中性洗浄料である「花王フェザーシャンプー」の発売もこの時代で、現在の化粧品原型モデルが数多く生まれた時代でもあるのです。
エステサロンで店販する製品のほとんどは、100年前すでに開発されている
世界の化粧品の歴史はもう少し時を遡り、紀元前2920年に古代エジプトでタール・水銀で化粧品がつくられたことがきっかけとなります。また紀元前だけでも香料の使用や通商は盛んで、軟膏上の香粧品などの使用も確認されてもいて、クレオパトラがアイメイクを施していたことも有名な話です。エジプト人の太く黒いアイラインは魔除けが目的とされ、マスカラのアイシャドウは目を陽射しや虫、感染症から守るために生まれたものであるといわれています。また弊社では「入浴美容」を促進するOEM開発・仕入れ物販などもラインナップしておりますが、古代ローマ人は入浴をしながら肌かき器などを使い紀元前当時から入浴美容を実践していたことが確認されています。日本でいう平安時代の頃には世界三大美女の楊貴妃が爪をヘナで染めていたことも有名な話です。1600年代後半になると、ヨーロッパではマルセイユ石鹸や香水がいわゆる上流階級の間で広がりをみせました。日本と同様に「色白」の女性が美人の条件とされ、つけぼくろも流行することとなります。1800年代には、ワックスを用いたスキンケア・リップスティック(フランスのゲラン社が発明)が普及し、1900年代に入るとマックスファクターが化粧下地を開発し、パウダーチーク・フェイスパウダーなども広がりをみせます。リップグロスやUV化粧品も、すでに1900年代前半に普及していた商品カテゴリーだということは、あまり広く知られていません。
今回のまとめ
現在の化粧品技術に総じていえることは、「肌に比較的安全な処方ができている」ということであり、それは化粧品の歴史に厚みがあるからこそ受けられる恩恵でもあるのです。界面活性剤・防腐剤などに反応的になる消費者の気持ちもわからないことはないですが、自然由来の原料を用いたり、含有量を調整することで肌へのトラブルは避けることは可能です。
しかしながら化粧品は、ある程度肌を活性することも求められます。活性を適切な度合いで行うこと、炎症のリスクに備えることにおいては、レベルの高い化粧品開発技術であり、レベルが底上げされた現代の技術でも、すべてのOEM化粧品が「品質が優秀である」とはなかなかいえないことも現実の一つなのです。